
2008年03月29日
このところゴタゴタしていたせいで今ようやく気がついたのですが、今日はもうサロン・ドートンヌの締め切りでした。
2007年のポスターは昨年のものとは随分違ったイメージのようですね。(カッコイイなぁ…。)
皆さま、出展は間に合いましたでしょうか?…。
ご健闘を一同心よりお祈り申し上げております。
2007年10月30日
定休館日の今日は諏訪南ICほど近くの、富士見町にある高原のミュージアムさんに出掛けてきました。実は過日当館に度々足を運んでくださっておられるお客様より当館宛にお手紙を頂戴し、『こちらで水彩画展をしますので宜しければお出かけください』とありました。そして同封されたチラシには、ただキレイなだけでは無く深くて苦さを持った渋みのある滲みの水彩作品が中央に配置されていて、さらにそに下には『見える音 聞こえる香り 触れる色』という言葉があったのです。『これはみたい』と即座に感じました。
2007年07月28日
そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の表から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」...創世記6章7節
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2007年06月05日
喫茶カウンターの上で、のんきに絵を描いているこのもじゃもじゃヘアーの人はジャンセンさんではありません。(笑)
この方は木台に固定されていますが、ブラジルのジュエリーアーティストさんの遊び心で作られたオブジェ(一点もの)だそうです。
元々作家さん自身もあくまで販売をするつもりはなくデザインしたジュエリーとともに飾っておられたものを、当時当館の管理をしていた館長夫人が目に止めたことで、言葉の壁もナンノソノ(笑)彼女のひたむきな熱意に心を動かされた作家さんのご好意で当館に寄贈していただきました。
私も親しみを込めて長年「モジャモジャさん」とお呼びしていますが、銅板で作られた身体も衣服もとても凝っていて凄いのです。指先の形もちゃんと絵描きさんの特徴を現していますよ。
2007年05月08日
ひと月ほど前に、ある方にご紹介いただいた詩人の方の本を数日前、数冊購入したのです。
これは、みすず書房さんから出版されている長田弘さんの『人はかつて樹だった』という本の中にあった作品から一部を抜粋し引用させていただきます。
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2007年02月11日
フランスの国際公募展サロン・ドートンヌの2006年選抜作品展のポスターです。ジャンセン氏も若かりし頃に通った難関ですが、当館のお客様の中にも何名かチャレンジされておられる方がいらっしゃいますのでやはり気になります。
日本では欧州美術クラブさんが出品代行をされておられます。チャンスは時に自分でつくるものですね…。今、2007年の作品応募受付が始まっています。楽しみですが、皆さんの一年間の成果を一瞬で見極める審査員の方々にも脱帽です。
2006年12月05日
出会いを求め(笑)、休日に金沢方面へ。金沢21世紀美術館さんにも立ち寄らせていただきました。館内であれこれ展示室を観せていただいたのですが、こちらは無料開放スペースのギャラリー展示でした。
宙釣りのアクリル球体の中には建物や天使たち等をイメージした作品があり、一風変わったクリスマスオーナメントという感じでしょうか?天使の翼を思わせる金属部分の細工の繊細さと木の温もりが、個人的にとても好きでした。
2006年12月03日
【(C)Imgrimomgri Aoki】
今年の2~4月のこと。当館のサイトURL変更から始まり他サイト3本の準備など一気に追われていたのですが、同時に検索エンジン対策も行っていました。そして見つけたのがImgrimomgri Aokiさん。過去ご来館くださったImgrimomgri Aokiさんがご自身のサイト内で当館をご紹介くださっていてそこを拝見していたのですが、その写真の世界にいつの間にか惹きこまれうっとり‥。そんなわけで気になった作品のところにこそこそコメントを入れさせていただいたのですが、先日館の方のスタッフブログを開きましたら『あの作品があれから二科展に入賞しました』とのコメントが!そして更に!再度サイトを拝見していたら先日の池田町立美術館さんで観せていただいた写真展の入賞作品の中にもImgrimomgri Aokiさんの作品?!‥なんと言う偶然でしょうか。
見ず知らずの他人の記憶に残るものを生み出すことはなかなか難しいと、私は常々思います。誰にでも出来ることではありませんね。とっても嬉しかったので、掲載許可を頂戴し載せました。感動をありがとうございました。
2006年11月29日
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「汝の肉体の目を閉じて、精神の目で画面を眺めよ」
「芸術の唯一の、真の源泉はわれわれの心であり、純粋で素朴な魂の言葉である」
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840) 《ロマン派風景画家(ドイツ)》
2006年11月24日
われわれ人間は夢と同じものでつくられている。
(ウィリアム・シェイクスピア/テンペストより)
2006年11月21日
…「ふるえわななかぬ血はひと雫だに今の私に残らず。げに私は知る、むかしの焰の形見を。」…
ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)/神曲“煉獄篇第30歌より”
2006年11月20日
『…アカデミーというものは排他的であってはならず、また、そこで自由に勉強しようと思う人々に助力を与える以外のどのようなこともしてはいけないと私は断言いたします。アカデミーは、子供の学校のように厳しい服従を強要したり、機械的な規則、毎月の賞、財政的な援助など、絵画という自由で高貴な芸術を卑しめ、弱めるようなつまらぬことは、いっさい追放すべきです。…絵画に於いては何ら強要すべき規則もなく、すべての人に対してまるで奴隷のように同じやり方、同じ方法で学べと押し付けることは、神の創造されたものを明らかにするものであるから他のいかなる芸術よりも神の世界に近いこの絵画を学ぼうとする若い人々にとっては、ただ妨げとなるばかりだということを、私は事実によって証明することが出来ます。…』
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス【1746-1728】
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※以上、1792年にゴヤが王立アカデミーに提出した“美術教育についての報告書”を部分抜粋。
※画像はジャンセンの描いた“ゴヤへのオマージュ”(1977年作品)
2006年11月17日
…ああ黄昏、汝の如何に甘く優しきかな!
勝ち誇らんとする夜の威圧の下に、一日の縡(こと)きれる苦悩の如く、なお水平線に棚曳いている薔薇色の光、日没の最期(いまわ)の栄光の上に、濁った赤い汚点(しみ)をつくる諸々の燭火の火穂(ほのお)、東洋(ひんがし)の奥処(おくが)より眼に見えぬ手の抽きいだす重い絨毯、それらは、生命の荘厳なる時刻に於て、人の心中に互に相剋する、すべての複雑した情緒を模倣している。…
(三好達治訳:巴里の憂鬱より抜粋)
2006年11月16日
Si tu veux la paix, Prepere la guerre.
※もしきみが平和を望むなら、準備せよ 戦争を。(ラテン語警句)
Si tu ne veux pas la guerre, Repere la paix.
※もしきみが戦争を望まないなら、繕え 平和を。(プレヴェール)
2006年11月15日
象徴主義の本質とは「理念に感覚的形態の衣裳をまとわせること」と、詩人ジャン・モレアスが1886年9月18日のフィガロ紙上に発表した象徴主義宣言ですが、このような考え方は実はこの宣言よりも30年も前にシャルル・ボードレールが外部と内面の世界の《交感照応》を歌い上げていたし、ドラクロワもノートに「人間の魂には、現実の事物では決して満足させることのできない内的感情というものがある。これらの感情に形と生命を与えることができるのは、画家か詩人の想像力だけだ」と書いています。。
このように、
最後のロマン派詩人であり最初の近代的批評家でもあったボードレールはその後の詩人達だけにではなく、実はさまざまな分野の芸術家たちに繋がっています。
ジャンセンとボードレールの響宴、パリの憂鬱(Le Spleen de Paris)展は今月27日までです。お早めにどうぞ!
2006年11月08日
天地(アメツチ)は宮居なり、宮柱生きたりな。
時ありて、おぼろげに言告ぐらしも。
象徴の森わけて、人間のここをよぎるに
森の目の、親しげに、見まもりたるよ。
夜のごと、光のごとく、底いなき、
暗くも深き瞑合の奥所となる、
声長き遠つ木魂(コダマ)の、とけ合うとさながらに、
匂いと、色と、ものの音(ネ)と、相呼び合うよ。
匂いあり、爽やかさ幼児(ウナイ)の肌(ハダエ)さながらの、
やわらかさ木笛(キブエ)に似たる、さみどりの牧原めける、
__またありぬ、こは敗頽(ハイタイ)の、豊かなる奢れる匂い、
譬うなれば、竜涎(リュウゼン)、麝香(ジャコウ)、薫香や安息香や
果しなきものの姿にひろがりて
感覚の、知覚の、無我の法悦を、謳歌したりな。
_________Correspondances【呼応】シャルル・ボードレール著/堀口大學訳/新潮文庫より抜粋
2006年10月31日
…
空には月がたちのぼった
木の枝が二叉に岐れているところに。
まるでお前たちがそこに住んでいるかのように
月はいつでも独りぽっちだ
___Gebet fur die Irren und Straflinge
(リルケ“狂人と囚人のための祈り”より抜粋)
2006年10月22日
常に酔っていなければならない。それこそは一切、それこそ唯一の問題である。汝の両肩を圧し砕き、汝を地面の方へと圧し屈しめる。怖るべき時間の重荷を感じまいとならば、絶えず汝を酔わしめてあれ。
さらば何によってか?
酒によって、詩によって、はた徳によって、そは汝の好むがままに。ただに汝を酔わしめよ。
(三好達治訳:巴里の憂鬱より抜粋)
2006年10月08日
日が沈む。一日の労苦に疲れた哀れな魂の裡に、大きな平和が作られる。そして今それらの思想は、黄昏時の、さだかならぬ仄かな色に染めなされる。
かかる折しも、かの山の嶺から薄暮の透明な靄を通して私の家の露台まで、高まってくる潮のような、吹き募る嵐のような、ほど遠い距離がもの悲しい諧調に作りかえる雑多な叫びの入りまじった、大きな呻りが聞こえてくる。夕暮れが平静へと帰さないところの、夜の到来を魔宴(ザッパ)の合図ととり違える、この梟のような、不幸な魂は何だろう?この不吉な呻り声は、……
(三好達治訳:巴里の憂鬱より抜粋)
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