
« 灯りを点けましょ雪洞に… | メイン | 学芸研修 in 豊科近美 »
2008年02月08日
過日こちらの信州ライブオンblogでもつぶやいていた記事を再確認しましたので、ご紹介しておきたいと思います。
アートライン内でも度々話題になり、一部の館では既に実行されておられる『次世代の美術館人口である子どもたちに、美術館好きになってもらおう』という試みの一環のようです。
今回国立館でようやく決定したというのですから、そういった意味ではアートラインは最先端を行っている訳ですね。(笑)
ただ…個人的な意見を言わせていただけるのであれば、私は『子どもたちは全て無料』というのはあまり賛成ではありません。無料になることで家族単位での観覧者が増え、休日は美術館へと考える方が当たり前になってくるというのは本当に素晴らしいことだと思います。けれど(例え100円でも50円でも)支払うことは、出会った作品や過ごした時間へ感謝の気持ちや敬意を表していくことであると思いますし、大人になってからもしっかりと記憶に残っていくのではないかと思うからです。
例えば自分の幼少期〜少女期を振り返ってみても、(大家族ながら)父なり母なりが受付で財布を広げ全員分支払っていた記憶はありますし、これで『私もしっかり一つの個体として認められているのだ』というようなことをちいさな胸で密かに感じていました。…私だけ体が小さかったのでいつまでたっても小学生と見られせつなかった記憶もありますが…。(苦笑
年に1日(または数日)無料開放というのや、閉館間際は割引といったものは素敵だと思うのです。これが欧州で『休日は美術館』と言われるようになった理由にあげられているのは納得です。
『何かを得るには何かを手放さなくてはいけない』というのは当館館長の口癖ですが、今回の話しでは『手放す』というのではなく感謝や敬意を表すため『代価を支払う』ということなのではないかと思うのですが…。
さて。一般の皆さまはどのようにお考えでしょうか?。
※記事掲載はこちら
このエントリーのトラックバックURL:
http://azumino-artline.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1671
コメント
私もそう思います。
その人の記憶に心にどうすれば残るのか・・・。
やはり多少なりとも代価を払う事によって、その人の心に残る事はあると思います。
接しやすい環境を作る事は確かに大切だとは思います。しかし、無料にしたときに美術館にどういった気持ち・感情で来館するのか。ちょっと怖い気がします。
芸術とは神社・仏閣と同じように神聖なもので無ければいけないと思います。そうあって欲しい。
投稿者: たっくん | 2008年02月08日 21:39
■たっくんさま
うーん…そうですね。
本当に難しいです。
小学生などではもしかしたらまだ解らないのかも知れませんし、中学生もやっぱり当地のような場所では一人で美術館という空間に足を運ぶことは難しいのかも知れません。そうすると、例え本人が行ってみたいと思っても親なり家族なりの同意や興味が無ければ行かれない=接するチャンスを持てない、ということになります。
そしてそれが例えば無料ということならそのチャンスに繋がる可能性も広がる、ということも解ります。
…ならば高校生はどうなのか。
いつか、とある偉い先生が『招待券をばらまく施設にしてはいけない』と、多少の代価を支払うことの意味と必要性を訴えておられたのですが、私はこれにも繋がる気がしています。
何はともあれ、田舎の小さな個人館にはなかなか出来ないことであり、例えば当館も近隣中学校の美術部さんに無料で入館いただくこともやはりありますが、彼らは彼らなりに館のお仕事に参加くださったりお手伝いしてくださっていてそのかわりの無料入館という形をとらせていただいています。
次世代の美術館人口の増加を願う心はきっと皆同じですが、そのきっかけや糸口の焦点をどこにあわせていくかが異なる、という事例ですかね…(苦笑
当館はやっぱり当館のいりぐちを模索し、何かしらのアクションを持って子どもたちに答えていかねばと思っております。
コメントどうもありがとうございました♪
投稿者: AJM | 2008年02月09日 00:38