
1945年7月、戦火の高まりとともに強制疎開命令を受けた田淵行男(1905−1989)は、登山や撮影の中で懇意になった山案内人を頼り、東京から北アルプス山麓の西穂高村牧(現 安曇野市穂高牧)に住居を移しました。まもなく、終戦を迎えることになるのですが、彼は東京へ戻らず、北アルプスと安曇野の豊かな自然の中に溶け込むかのような生活を続けました。当時の手つかずの自然が残る安曇野をむさぼるように味わい、蝶の研究や撮影を行うという日々は、まさに「ナチュラリスト」という生き方を体現するものでした。
田淵行男(1905-1989)は、日本のネイチャーフォトのパイオニアとして偉大な業績を残しました。その活動範囲は山岳写真から生態写真に及び、今なお、自然写真分野における巨人として、高い評価とともに顕彰されています。
堀勝彦氏(1935〜)は学生時代、チョウへの関心から安曇野市穂高牧に疎開していた田淵行男を訪ねたことをきっかけに、長年、田淵と行動をともにするようになりました。田淵行男の作品集『高山蝶』(1959年、朋文堂)は堀氏の研究によるところも多く、彼のサポート無くしては作品集が今の形で発表されることはなかったのかもしれません。
田淵行男は、平成元(1989)年5月30日、83歳で逝去しました。田淵行男記念館ではその命日の翌日、ゆかりの方を招いて「田淵行男を語る夕べ」を開講します。和やかな雰囲気の中、ひとりの人間としての「田淵行男」を偲びませんか。