
2006年09月27日
穂苅 三寿雄(ほかり みすお)1891−1966
昭和初年撮影(推定)明治、大正の2代を経て、河童橋は近代的な形を整えてきた。山は同じでも風景は変わる。
2006年09月25日
穂苅 三寿雄(ほかり みすお)1891−1966
1925(大正14)年10月撮影。活火山の焼岳とはいえ、至近距離の上高地に大型写真機を据えて異変の瞬間をとらえた努力は特筆される。
2006年09月24日
穂苅 三寿雄(ほかり みすお)1891−1966
1935(昭和10)年頃撮影。正面にひときわ高く常念岳を据えたところに作者の意志を見る。その麓に住んだ田淵行男は、常念に206回の登頂を果たした。
2006年09月21日
船越 好文(ふなこし よしふみ)1909−2001
1940(昭和15)年3月撮影。猛烈な風の中で動かぬ剣岳と耐えて行く登山者の対比。船越の代表作。
2006年09月20日
岩永 信雄(いわなが のぶお)1895−1979
1928(昭和3)年6月23日撮影。一本橋の上を渡っているのは、案内人の宇治長次郎。当時としては珍しく動感のあるスナップ写真。
2006年09月19日
志村 烏嶺(しむら うれい)1874−1961
1908(明治41)年8月撮影。志村は橋の構造に興味を持ったと思われ、細部が分かる角度を選んでいる。この写真は幻灯用ガラス板(現在のスライド)からのプリント。
中村 平一(なかむら ひらかず)1891−1963 岐阜県飛騨市生まれ
1925(大正14)年10月12日午後3時撮影。当時、旧上宝村(現高山市)の小学校教師であった中村は、教員宿舎に組立暗箱写真機を常備し、この一枚を得た。高山測候所に保存され、新聞、出版物に掲載された。